( néant )

消費期限切れの言葉たち

鬱、時々、うつ。犬、時々、猫。

今年も残りあと数時間となった。

寒さが一層強くなり、テレビを点けて特番が並んでいるのを見るとやっと重い腰を上げて年の瀬に合わせにいく自分がいる。

 

2020年はいつにもましてあっという間だった。

歳を重ねる毎に、一年が過ぎ去る体感スピードが早まっている気がする。

10代は±0で、20代で+1,5倍、20代後半は+2倍、30代は+2.5倍‥といった風に。

365日を過ごしてきたはずが、寝ている間に半年以上経過している気さえする。

 

今年はなんと言っても未知の見えない敵に振り回された一年だろう。

正直、ニュースを見るのも飽き飽きしてきている

ウイルスについて恐怖や重大さを煽ったと思ったら、

ウイルスによって苦しんだり悲しんだりした人を励まそうと煽ったり。

もうなにがなんだかよくわからなくなっちゃって。

 

マスク姿も今や常識的で、ソーシャルディスタンスも自然な並び。

からしたら、コロナ禍以前から人とのディスタンスを大きく測っていたので

あまり衝撃的でもなかった気がする。

密な状況が元々苦手で、屋上で黄昏れているようなつれない性格だったのもあるが

人との心の距離は密になりたい。そう思っていても方法がわからんのだけども。

 

 

いずれにせよ、

ウイルスにちょっと憧れてしまう部分がある。

 

僕らがもし誰かしらに影響を与えようと思っていたとして、

あっても足りないぐらいの熱量と労力と人数とお金をかけても何年もかかるはずなのに、ウイルスはたった数ヶ月で世界を変えてしまった。

たった数ヶ月だ。たった数ヶ月で世界を飲みこんでいくその力がちょっとうらやましい。

 

僕も贅沢言わないので数人くらいにでも影響を与えるぐらいの魅力や効能を持ってこの世に生まれたかったもんだと思う。

そう今年も、ウイルスが人々を蝕んで世界を飲み込んでいる間も、

僕が誰かの人生に感染することも、寄生することもなかった。

僕が誰かに影響を受けることも、感染するほど夢中になることもまた然り。

 

たぶん、どうしようもなく取り残されて独りぼっちになるかもしれない。

疫学的にはそれは素晴らしいのかな、移す移さない関係ないし、独りなんだから。って

 

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Everybody's Gotta Live

Everybody's gotta live
And everybody's gunna die
Everybody's gotta live
I think you know the reason why

  

人間は生きている以上、必ず死を迎える。

老いなのか、病なのか、あるいは自ら歩んだのか。

理由や要因は様々だけど、だれにも死は訪れる。

生きている、生きてゆくということは、

死にどんどん近づいているということである。

自ら歩みよらなくても、必ずやってくる。

時は異なれど死は差別することなく、平等に与えられる。

僕にも、君にも、いつかやってくる。

人間としての通過儀礼なのだ。

唯一言えることは、生きることも死ぬことも

どちらも苦しいことなのかもしれない。

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0519-0520

今年も梅雨に突入して、数日が経った。

大雨が降り続けて薄暗い雲が空を覆ってると思ったら

心変わりしたように太陽が顔を出したりする。

 

雨は好きだが、嫌いな雨もある。

太陽はあまり好きじゃないけど、ほんと稀に好きな太陽もある。

 

一番厄介なのは、大雨のち晴れ。

雨はいつか上がる。明けない夜はない。と、希望の言葉に使われることも多い様子。

コロナになってより聞くようになった。

でも、僕は大雨のち晴れが大嫌いである。

理由は単純で、雨のあとの快晴は暑すぎるからだ。

実はヴァンパイアなんじゃないかと思うぐらい明るさや熱にめっぽう弱い。

残念ながらニンニクが大好物だから吸血鬼説は消去法いらずだけど。

ありきたりな希望や、ポジティブなセリフとかも

許容しかねるぐらいひねくれてるのが答えだろうけど。

 

明けない夜でも雨が上がらなくても、

僕は生きるだろうし、人間はどうやっても生きる。

 

なぁ、もう生きてきて30年目突入だよ。

 

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昼のアメリカーノと夜のアメリカーノ

早寝する街中に視線を運ぶこともなくなった。

マスク姿は病気ではなく、服装の一部となってプラスティックカバーは人とヒトの境界線、足元の貼り紙に立ち止まり2メートルの社会的距離を無意識のまま遂行する。

 

目に映る全てが異様だったはずなのに、

早々とこの光景に慣れてしまった自分がいる。

 

人には慣れる適応力があって、

なかなか手強い生き物だと彼らも思っているに違いない。

 

マスク姿は終息しても、本人の自由に通例化したらいいと思う。

接客業だから、サービス業だから顔が見えないのはちょっとと言うが慣れて仕舞えば顔が見えなくてもなんとも思わなくなる。

トレイからお釣りを自分で取ることだってなんら苦じゃない。

 

 

異様な光景も当たり前になって、なんとも思わなくなる。

外に出る際には、無意識のままにマスクをするし、距離を取ろうと思わなくても前に後ろにと自由自在に脳が勝手に誘導する。

 

親密な人でも、近すぎたら『ちょっとなに?なに?』と挙動不審になるほどパーソナルスペースを極めた僕にとってはこれぐらいの人との距離が絶妙なのでこれが普通になれば幸いです。

 

思い返してみれば昔から基本的に広くて深い気がする。

女の子とDVDを選んでいるときも、一緒に選ぶのではなく別々に好きなのを取ってきて比べたくって一人でのこのこ探していたりする。

公の場所で手を繋ぐなんてもってのほかで、

そんな僕をイジるように、わざとくっついてくる人もいたりした。

 

今思い返せば、なんとも微笑ましい姿に思えるし、今になって下手な恋愛映画のように純粋に手を繋いだりしたいと思ったりする。

むしろ、それだけでにやけてしまうだろう

残念ながら恋愛映画のようにはいかないし歳を重ねすぎたし色々と気持ち悪いだろうからこの想いも生焼けになってしまうだろう

 

 

まあ、近い店員さんにビビらなくていいし

レジ会計している最中にすぐ隣に商品を置いて相席お会計おじさんおばさんに神経を尖らせないでもよくなる。

 

これを機に、

今の社会的距離が日常になってゆくだろう。

生活を建て直しても、防疫をしながらだろうし、非接触化は加速するだろう。

 

再度ウイルスに対峙したときのために

ロボット開発は急速に進みVR人工知能も発展するだろう。

 

 

衰退したり、萎むこともありながら

一方で盛り上がり、成長するとこもあって

人間界には双方が安泰、皆平等ってことは絶対にないんだろう。

僕よりロボットの方が絶対便利だし、効率いいだろうし、感情があまりなくって生きやすいと思うから勝てる気がしないや。

時間は進むし、人も変わるし、大人になるから

嘆いても仕方ないことだが、

ロボットじゃない人間臭かったはずの

僕の感情も言葉も需要があったはずなんだけどなあ。

感情に浸るのは簡単なので、これは置いといて。

 

 

コロナになって一つ残念なのは、

死ぬまでドライブスルーマンの僕にとってファストフードが軒並みテイクアウトのみの営業となってスルーがスルーできないほど行列をなすのを目の当たりにしたGW

道まで続くドライブスルーの列を見たらゾッとした。全然ファストじゃない。

※スタッフの皆様方には感謝しかありません

 

 

でも、人って成長するもんだ。

ドライブスルーマンの僕が店内に入ってまで買いに行ったのだから。

無論、空いていたからだけど。

いつものアメリカーノを手に入れるためには車を飛び出しよちよちしながら買いに行くもんだ。

そうだ、いつものアメリカーノ

残念ながらこれが僕にとって唯一無二のルーティンなのだから。

 

だけども、昼のアメリカーノと夜のアメリカーノは天と地の差があるくらい違う。

やはり僕は夜のアメリカーノがいい。

こいつ何言ってる感は自分でも感じる。

以前のように夜のアメリカーノを飲める日が来ることを願うばかりだ。

願いつつも昼のアメリカーノにも慣れてしまったからどうしようもないんだけど。

 

 

どうせ外に出たらマスクするからと、

髭を整えることもあまりしなくなった。

僕にとってマスク姿で過ごすことは結構な息苦しさがある。3分で取り外したくなる。

それでも、マスクをつける。

僕以外の人のために。

 

ただ、最近思ったのがマスクをしていると

自分自身が周りから見えてないような感覚になって、少しだけ胸を張って歩ける気がする。

隠れてるのは鼻と口だけだけども、

鼻と目しか褒められないのでマイナスなんだが

まぁ感覚だけの話なのだけど。

それに、隠すほど大地に根を張って生きて無かった。

それでも、マスクを外さない。

僕だけのために。

 

 

とんかつとカキフライが食べたい。

あと、好きな人が欲しい。

好きな人がいない人生ほど、生きる価値のないものはないと思う。

だけども、生きる価値を見出せないような退廃的な人生では、好きな人すら現れないと思う。

人類は目が輝いている人が好きみたいだから

死んだ目には用がないらしい。

やっぱりカキフライ食べたい。

 

 

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とんだルーティンにハマったようだ

いいさ、若いときに好きな人や友達とドライブしすぎて、音楽にゆられ、コーヒーとタバコに陶酔して、なんでもない話からなんでもある話を交差して喜怒哀楽を上手くハンドリングしてさ、だいたい道のりは同じだけど、一つとして同じ景色はなかったはずだ。

なんとなくな理由で一緒にいれた最高で素敵な時間だったからこのルーティンを今でも変わらず続けてんだよ。

 

ドライブとか、

海辺で座っておしゃべりとか、

ただ星が綺麗な場所とか、

 

みんなしなくなるだろう?

そんな時間もなくなるだろう?

 

そんな十代みたいなことって、

飲みやご飯と比べて、

退屈に思うだろう?????

 

それが大人になるってやつなんだろう

僕はいつまでも大人になれないんだな

それだけ、たったこれだけの

退屈かもしれない時間を未だに過ごしたいと思ってるよ

 

 

 

 

殴り書き

コンビニに行くと、飛沫や濃厚接触しないようにとレジ前に大きなカバーを設置していた。

 

先日いつものようにスタバに行くと、

明日から一か月以上に渡り夜7時までの短縮営業になると聞いた。

 

本を読むため、貸りるために通っていた図書館も本日から休館になった。

 

ガソリンは日に日に安くなるばかりだが

満タンにして走り続ける目的地もほとんどない。

 

自粛ムードが浸透してきて

オンライン飲み会が流行っているらしい。

自粛をお願いされて1カ月くらいだが既に何処でも誰かと繋がっていたいほど承認欲求に飢えている人類。

 

 

夜、スーパーに買い出しにいくと、

まるでゴーストタウンかのように

街が呼吸一つしていない風景で

猫の鳴き声ひとつで安堵するくらい

どこまでも静寂に沈んでいる。

 

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キネマの神様

ちょうど一年前の記事が出てきた。

abuwo666.hatenablog.com

 

結果から述べると、

僕は本の虫にはなれていない。

 

だけども、少しずつではあるが

つまみ食い、異なる枝を齧るぐらいには

本に触れるようになっている。

 

もちろん、樹木希林の本は面白すぎて、言葉一つ一つに情があり心に突き刺さるのもあって読み終えたのだけど。

 

問題は、義兄が僕みたいな登場人物がいるし、映画好きならおすすめだよ、と貸してくれた

キネマの神様である。

これは、2年ほど経つだろうか

まだ半分にも到達していない。

でも、読み進めたい。

遠回りしながらでも、完読したい。

 

なぜなら、

先日コロナウイルスで亡くなった

志村けんの初主演映画が、

山田洋次監督による『キネマの神様』だからだ

 

 

なんだか、勝手に意味づけして

遠いながらも読み進めていた本の映画化を知り縁を感じた気がするから

これを機に、のめりこめたいと思う。

本に出てくる登場人物に志村けんはぴったりと思ったから今となっては切ないものを感じる。

 

 

僕にとってキネマはなくてはならないもの

幾度となく僕を救ってくれ慰めてくれた

大切なものはキネマから。と、

大袈裟な事は言えないけども

感情移入して自分を投影して重ねてみたり

全く異なる物語に対し遠くから眺めてみたり、

あるいは、言語化出来ずにいた想いを代弁してもらった気がしたりと。

シーンやセリフ、音楽に酔っては一喜一憂したりする。

世界中を飛び周る事はできないけど、

一人の物語を通してまた一人と、ハシゴした気分になれる。

キネマを通して、僕は神様を探している。

誰も理解できず共感もできず、理解されず共感もされずとも

生きてていいんだよって説いてもらうために。

 

映画が出る前には読み終えてるといいな。

他人事だよ、自分のことなんて。

 

 

 

 

世の中は馬鹿で回る

ティッシュペーパーがないからスーパーに買いに行った。

 

案の定、一つもなかった。

一つを買いに行っただけなのに

一つすらなかったのだ。

 

閑古鳥が鳴いているのは

マスクだけではなかったようだ。

 

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