( néant )

消費期限切れの言葉たち

0519-0520

今年も梅雨に突入して、数日が経った。

大雨が降り続けて薄暗い雲が空を覆ってると思ったら

心変わりしたように太陽が顔を出したりする。

 

雨は好きだが、嫌いな雨もある。

太陽はあまり好きじゃないけど、ほんと稀に好きな太陽もある。

 

一番厄介なのは、大雨のち晴れ。

雨はいつか上がる。明けない夜はない。と、希望の言葉に使われることも多い様子。

コロナになってより聞くようになった。

でも、僕は大雨のち晴れが大嫌いである。

理由は単純で、雨のあとの快晴は暑すぎるからだ。

実はヴァンパイアなんじゃないかと思うぐらい明るさや熱にめっぽう弱い。

残念ながらニンニクが大好物だから吸血鬼説は消去法いらずだけど。

ありきたりな希望や、ポジティブなセリフとかも

許容しかねるぐらいひねくれてるのが答えだろうけど。

 

明けない夜でも雨が上がらなくても、

僕は生きるだろうし、人間はどうやっても生きる。

 

なぁ、もう生きてきて30年目突入だよ。

 

 

今日は僕があまり嬉しくない日だ。

今年は、30回目だからいつもより二割増しで嬉しくない日だ。

 

 

30って数の重さ。この日を迎えるたび、数が増えるだけと考えるだけで

年々恐ろしくなる。何一つ嬉しいことがない。

 

何年前からは

今日が僕が生まれた日で、

明日は君が生まれた日になった。

 

別れて何年間くらいは、

この日を迎えることがもっと嫌になったことがある。悲壮感増量になったから。

 

今日を迎えるということは、

すなわち明日は君の誕生日という必然。

僕らが出逢ったのは偶然だった。

それでも、誕生日が1日違いという事実に運命を感じるのは当然。

その夢みた運命は別れてもなかなか壊れてくれず愕然。

 

 

でも、人間ってリカバリー能力に長けてるから

完治しなくても気にしないくらいにはオートマ運転できる仕様なんだ。

どんなに嫌な思い出も、気づいたら塩気が足りなくておかずにもなんないんだ。

おかず?あぁ、そっちならいつでも抜きでいけるけど。

 

 

僕は人に、生まれてきてくれてありがとう。ということがあるけども

僕は生まれてきてくれてありがとう。と誰かに言われても、曖昧な二つ返事でごまかすと思う。

それは、僕が誕生したことを未だに僕自身が受け入れられずにいるからだろう。

 

この日を迎えるたびに、

数字は増えてゆくのに、数字に見合う重さはない。

大体、十代後半ぐらいから数字だけが先走っていてだいぶ遅れをとっている状態だ。

数字と等身大が重なり合うことはないかもしれない。

 

 

僕は残念なことに、

二十代前半からこの日を迎えたくないと拒絶してきた。

拒んでも必ずくるのだけども、どこか心の中で必死に抗ったりしてきた。

むしろ、自主的に記憶喪失になってこの日を感じないようにしてきた。

人から『おめでとう』と言われることもある。

もちろんそれに対して嫌な気持ちは一切しないし、『ありがとう』と返す。

でも、嬉しくないのだからリアクションも曖昧である。

 

心が歪みに歪んでしまったので、

昔から感動や歓喜した際、人並みのリアクションすらうまく取れないでいる。

これは残念で仕方ない。

 

今日という日が、特別な日と自分自身も絶対分かっていたはずなのに、あたかも期待してないそぶりで友達なんかに会い、案の定サプライズ〜と祝ってもらって嬉しくて涙したり、思っても見なかった展開とばかりに屈託のない笑顔で喜ぶ人達を横目で見ながら『初めから知ってただろう』と、僕は心に泥を塗ることしかしてこなかった。

 

いいや、するしかなかったのかもしれない。

冷めたら面しながらも、そういうリアクションを取れる人達が非常に羨ましく思ったりした。

 

そんな僕でも小学校のときは、

同じ野球部のメンバーとお互い誕生日会を行き来したこともある。

あのときは、この日が世界で一番特別な日だと思わずにはいられなかっただろう。

 

大学に入り、

2回ほどサプライズというか祝ってもらったこともある。

 

そもそもリアクションを取れないし、誕生日は忌まわしい日だと思って生きてきたので僕は人に誕生日を言うことがないし、聞かれても答えたり答えなかったりと曖昧な性格なのでそのときも何故祝ってもらったかわからない。

 

思い返してみれば、学内にあった行きつけのコーヒー屋のマスターに自己申告したからだと思う。

誕生日だと十杯分ほどのコーヒーチケットをプレゼントしてくれるのでコーヒージャンキーな僕には誕生日を忘れるぐらい嬉しい特典だったからだと思う。

おかげで、マスターから友達へ知れ渡り祝ってもらったのだけど。

 

一回目は、屋上でくすぶってタバコをふかしていたら美人なハーフの女の子から連絡がきて会いに行ったら実は誕生日なんでしょう?ってわざわざケーキ買ってきてくれて。

気まずくて遠慮したけども、周りもワアワアしだして相変わらず下手なリアクションで感謝を申し上げたパターン。

 

二回目は、当時好きだった女の子がケーキを作ってきてくれた。

『好きだった女の子がケーキを作ってきてくれた』という恋々としたキラーフレーズだが

残念ながら、連絡が来た頃には学校をすっぽかして北部まで車を走らせてお洒落なハンバーガーを一人で頬張っていたもんで。

手作りケーキを食べずじまいとなった。

その結果に関わらず、見事にその女の子にはキル(撃沈)されたのだけど。

 

 

しっかりと記憶に残っているのはそれくらいだろうか。

あるだけ幸せなことよね、

思い返せる想いでがあるだけ、存在証明になるはずだから。

 

 

ぼんやりと生きてきて、

濁った目を擦りながら這ってきたけど

よう生きてるもんだなと客観的に考えてしまったりする。

 

30年で15年。あるいは、それより少ないほどしかハイコントラストな物語はなかったのだけど。

天秤にかけると面白くないことの方が当然多いのだけど。

それでも、数少ない愛しき日々が

ここまで生に繋ぎとめてくれてるんだ改めて思う。

 

 

たった一瞬の喜びや

たった一瞬の楽しみ

たった一瞬の恋や

たった一瞬の笑顔のために

 

僕らはどこまでも生きてゆける。

 

たった一瞬の君と、

たった一瞬の僕で、

 

僕はどこまでも生きていけたのだよ。

 

 

 

余命は分からないから、

少しでも悔いを減らすために

会いたいとおもったとき

会いたいとおもわれたとき

 

何も考えず、迷わず

着の身着ままで走りだしたいな。

 

 

まあ、残念ながら

ときすでに遅くて疎遠にしかならないけども

僕は変わらず、ピーターパンだ〜

 

 

 

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