( néant )

消費期限切れの言葉たち

昼のアメリカーノと夜のアメリカーノ

早寝する街中に視線を運ぶこともなくなった。

マスク姿は病気ではなく、服装の一部となってプラスティックカバーは人とヒトの境界線、足元の貼り紙に立ち止まり2メートルの社会的距離を無意識のまま遂行する。

 

目に映る全てが異様だったはずなのに、

早々とこの光景に慣れてしまった自分がいる。

 

人には慣れる適応力があって、

なかなか手強い生き物だと彼らも思っているに違いない。

 

マスク姿は終息しても、本人の自由に通例化したらいいと思う。

接客業だから、サービス業だから顔が見えないのはちょっとと言うが慣れて仕舞えば顔が見えなくてもなんとも思わなくなる。

トレイからお釣りを自分で取ることだってなんら苦じゃない。

 

 

異様な光景も当たり前になって、なんとも思わなくなる。

外に出る際には、無意識のままにマスクをするし、距離を取ろうと思わなくても前に後ろにと自由自在に脳が勝手に誘導する。

 

親密な人でも、近すぎたら『ちょっとなに?なに?』と挙動不審になるほどパーソナルスペースを極めた僕にとってはこれぐらいの人との距離が絶妙なのでこれが普通になれば幸いです。

 

思い返してみれば昔から基本的に広くて深い気がする。

女の子とDVDを選んでいるときも、一緒に選ぶのではなく別々に好きなのを取ってきて比べたくって一人でのこのこ探していたりする。

公の場所で手を繋ぐなんてもってのほかで、

そんな僕をイジるように、わざとくっついてくる人もいたりした。

 

今思い返せば、なんとも微笑ましい姿に思えるし、今になって下手な恋愛映画のように純粋に手を繋いだりしたいと思ったりする。

むしろ、それだけでにやけてしまうだろう

残念ながら恋愛映画のようにはいかないし歳を重ねすぎたし色々と気持ち悪いだろうからこの想いも生焼けになってしまうだろう

 

 

まあ、近い店員さんにビビらなくていいし

レジ会計している最中にすぐ隣に商品を置いて相席お会計おじさんおばさんに神経を尖らせないでもよくなる。

 

これを機に、

今の社会的距離が日常になってゆくだろう。

生活を建て直しても、防疫をしながらだろうし、非接触化は加速するだろう。

 

再度ウイルスに対峙したときのために

ロボット開発は急速に進みVR人工知能も発展するだろう。

 

 

衰退したり、萎むこともありながら

一方で盛り上がり、成長するとこもあって

人間界には双方が安泰、皆平等ってことは絶対にないんだろう。

僕よりロボットの方が絶対便利だし、効率いいだろうし、感情があまりなくって生きやすいと思うから勝てる気がしないや。

時間は進むし、人も変わるし、大人になるから

嘆いても仕方ないことだが、

ロボットじゃない人間臭かったはずの

僕の感情も言葉も需要があったはずなんだけどなあ。

感情に浸るのは簡単なので、これは置いといて。

 

 

コロナになって一つ残念なのは、

死ぬまでドライブスルーマンの僕にとってファストフードが軒並みテイクアウトのみの営業となってスルーがスルーできないほど行列をなすのを目の当たりにしたGW

道まで続くドライブスルーの列を見たらゾッとした。全然ファストじゃない。

※スタッフの皆様方には感謝しかありません

 

 

でも、人って成長するもんだ。

ドライブスルーマンの僕が店内に入ってまで買いに行ったのだから。

無論、空いていたからだけど。

いつものアメリカーノを手に入れるためには車を飛び出しよちよちしながら買いに行くもんだ。

そうだ、いつものアメリカーノ

残念ながらこれが僕にとって唯一無二のルーティンなのだから。

 

だけども、昼のアメリカーノと夜のアメリカーノは天と地の差があるくらい違う。

やはり僕は夜のアメリカーノがいい。

こいつ何言ってる感は自分でも感じる。

以前のように夜のアメリカーノを飲める日が来ることを願うばかりだ。

願いつつも昼のアメリカーノにも慣れてしまったからどうしようもないんだけど。

 

 

どうせ外に出たらマスクするからと、

髭を整えることもあまりしなくなった。

僕にとってマスク姿で過ごすことは結構な息苦しさがある。3分で取り外したくなる。

それでも、マスクをつける。

僕以外の人のために。

 

ただ、最近思ったのがマスクをしていると

自分自身が周りから見えてないような感覚になって、少しだけ胸を張って歩ける気がする。

隠れてるのは鼻と口だけだけども、

鼻と目しか褒められないのでマイナスなんだが

まぁ感覚だけの話なのだけど。

それに、隠すほど大地に根を張って生きて無かった。

それでも、マスクを外さない。

僕だけのために。

 

 

とんかつとカキフライが食べたい。

あと、好きな人が欲しい。

好きな人がいない人生ほど、生きる価値のないものはないと思う。

だけども、生きる価値を見出せないような退廃的な人生では、好きな人すら現れないと思う。

人類は目が輝いている人が好きみたいだから

死んだ目には用がないらしい。

やっぱりカキフライ食べたい。

 

 

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とんだルーティンにハマったようだ

いいさ、若いときに好きな人や友達とドライブしすぎて、音楽にゆられ、コーヒーとタバコに陶酔して、なんでもない話からなんでもある話を交差して喜怒哀楽を上手くハンドリングしてさ、だいたい道のりは同じだけど、一つとして同じ景色はなかったはずだ。

なんとなくな理由で一緒にいれた最高で素敵な時間だったからこのルーティンを今でも変わらず続けてんだよ。

 

ドライブとか、

海辺で座っておしゃべりとか、

ただ星が綺麗な場所とか、

 

みんなしなくなるだろう?

そんな時間もなくなるだろう?

 

そんな十代みたいなことって、

飲みやご飯と比べて、

退屈に思うだろう?????

 

それが大人になるってやつなんだろう

僕はいつまでも大人になれないんだな

それだけ、たったこれだけの

退屈かもしれない時間を未だに過ごしたいと思ってるよ