( néant )

消費期限切れの言葉たち

世界は溢れすぎて、幸せに渇きすぎて。

僕はサブスクに懐疑的である。

アナーキーとまではいかないけど、どちらかといえば手に入れようとしない方である。

 

現代に生きている32歳にしては、5,6歩時代おくれな人間だと思う。

そもそも、歳を重ねる毎に、時代に抗い、古き”良き”に後ろ髪引かれる思いが募っていく。後ろ髪も、数年後にはなくなりそうだけど。(ちょっと大げさ)

 

昔から映画も好きだし、音楽だって好きだ。最近は、読書をするようになったし、

創作物などは趣味に値するレベルだし、生きる上で最も合法的かつ初心者にも易しいカンフル剤だと思っている。

 

映画の数だけ物語はあって、音楽の数だけ思い出がある。

それらは生きる上では、すこし欠かせない感受性の宝庫だと思う。

 

そんな僕が、サブスクに懐疑的なのは、ケチという理由ではない。

むしろケチで合ったほうが、なにかと良いかもしれないけれど。

 

サブスクが少し怖いのである。

便利なものが切ないのである。

到底人間が太刀打ちできない人工知能などが、

僕の好みを勝手に勧めて来ることが、脅威かつ恐怖でしかないのだ。

 

それらの行為は、とても便利である。

時間を節約できて、効率よく人生を歩めるだろう。

最小時間・最短距離で、目当てのモノ、場所、思いが届くことは、

一見、とても良いことのように思える。

無論、僕自身もそれらの最先端テクノロジーに日々助けられている。

 

漢字や、調べものはもちろん。

未知な場所への道案内も、知らない店の雰囲気やイメージを事前に取り寄せられる。

分厚い辞書辞典に収まりきらない情報が、秒速で手に入る。

 

こんなに良いことはない。

人と待ち合わせするときも当たり前のように、SNSで連絡を取り合って

なんなら住所も送れる。

 

一昔前はどうやって待ち合わせしていたのだろう。って気になって

ポケベルやポケベル以前だと、十八番の待ち合わせ場所が存在していて、待ち合わせ掲示板みたいのがあったらしい。ってことを、また秒速で調べてしまって、ちょっと自分が嫌になる。

 

それほど、僕らにとって便利さは切っても切り離せないズブズブの関係になったわけだ。多分これは、森友問題や政治家の権力と圧力の問題より、切り離せないと思う。

 

これは、僕がゆとり世代ゆとり世代になる前との境界線で育ったから?

あまりテクノロジーが発展していないときから育ったから、不便利さに恋しさを感じているのだろう。

 

今の若い世代の人にとっては、スマホなんて生まれた時からあったもので

僕でいうゲームボーイのような価値観だろうから、古さや過去に惹かれたりはしないだろうけど。

 

僕にとっては死活問題である。

サブスクは結構な大きな問題である。

 

世界は欲しいもの、便利なものに溢れすぎている。

それなのに、僕は幸せを渇望している。むしろ、幸せが渇き過ぎる。

世界が発展して、進むたびに、SF映画を観るわくわくよりも、荒廃とした未来を感じる。

 

人は過ちを繰り返す。と、

Falloutでも語られた通り、人は醜く汚い。

手に入れてもどこまでも欲しがる。

ただでさえ金持ちの社長らが、詐欺や横領をして、暗号資産で海外の銀行に~みたいな通り、足るを知ることがない。

 


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便利は便利で止まることはなく、

もっと要約・簡潔な世界を作ろうとする。

 

僕はすごく怖い。

サブスクだけでなく、時代の流れは、倍速や要約・簡潔に短い言葉、短い動画で完結する世界になっている。

 

方程式など奪い去って、

問題と正解の二コマで終わる。

 

答えを導きだすに至ったプロセスなど、

誰にとってもどうでもいいことのようにされる。

 

長い言葉・動画は、時間の無駄のように排除されて、

今まで嗜んできた人たちも、短いものしか口にしなくなる。

 

 

それって、おそろしくないですか?

いつしか、人間関係もそのうち手薄になって、上っ面だけ構えて

中身はまるで空っぽって現象が起きる。

 

 

人と人、繋がっているようで、繋がっているフリが上手になる一方で、

言葉の意味や、心の大切さ、命の重さま儚く宙に彷徨っている風船よりも軽くなる。

 

メリークリスマス
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど

 


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人との人との関係も、好きな音楽・好きな映画も、いずれ、好きな人だって。

二束三文のお勧めで成り立つ世界になって、十把一絡げの幸せは嘘だと知りながら虚しく生きていくのだと思う。

 

実際、僕は、ずっと虚しい。

日々虚しい。人生とは無意味であるが、無意味のまま生き続けるのが難しい

答えを求めているわけではないけど、時代に逆行するように、僕の心は人々と乖離しているように思える。

 

 

サブスクで真実の愛が届き、それを幸せだと思える相手ならいいけど

サブスクで愛する人までは届かないし、いずれも義務的業務的作業的なものでしかない

 

 

ここまで1990文字以上綴ってきたが、

これを読み耐えている人は現代においてごくわずかだろう。

もちろん、僕はベストセラー作家でもなければ、芸能人でもインフルエンサーでもないので、最後まで読むには値しないだろうけども。

便利を推進して、対時間政策によって、短いものばかり求められる時代だからでもある。思う。

 

 

いや、いいんですよ。

サブスクでも。便利であるし、手っ取り早いし、拒む理由もないし、

真面目や純粋な人が傷つく恋愛みたいなもので、抗う方が損をするんですけどね。

 

 

サブスクで手に入れた好きなものって、すぐ飽きると思います。

思い入れもなく、好きになった理由もない。

そこには想い出もなく、苦労もない。

自らの足で歩き回り、掘り当てた宝と違って、

サブスクに余生を嗜む面白い世界はオチてないのですよ~~

 

遠回りも悪くない。

無駄なもの、不便なものも悪くないと思うんです。

そもそも、人と繋がるときだって、

めんどくささや不備不便無駄な言葉・感情の連鎖でしょう?

 

直行直帰でゴールするより、

たまには寄り道して、たまに戻って遠回りしてって味も楽しもうよ、みんなって感じです。

 

 

会うために理由を探したりしないで、

会うためこそサブスクのように手っ取り早く面と向かうべきだと思う。

口実が欲しいときだけ、不便さや理不尽さを求めて使いまわして、

楽しいを求めるときだけサブスクでって、なんだかね

 

 

過去の話をしてもキリがないけど、

SNSだほとんどなかった時期に僕はインターネットに触れた。

当時は、Facebookも発展途上で、アメリカでしか活躍してなかったしTwitterなんてほぼ動いてなかった。

僕らは、学生のときから無料HPや前略とか作ったりしていたし、メル友文化が存在していたので、言葉と言葉のやりとりがメインツールですごく鍛えられた。

むしろ貴重だった。

 

Mixiで今より長文を書いていた時期もあったけど、

他にツールがないからよく読まれてよく褒められて、それが嬉しくて、今も現世で生きていることができている。

 

そんな時代遅れな僕は、現代の波に抗えず、破滅しようとしている。

溢れすぎたツールの中で、誰からも承認されない世界は、きっと身体的に死ぬことよりも恐ろしいことかもしれない。

 

 

僕が分かりやすく、短く簡潔に要約できる能力がないから言い訳じみた感じなんですけどね、結局。

サブスクはいい。モノはいい。サブスクのモノはいい。

ただ、人との繋がりもサブスクのように軽く・空箱のような気がしてならないんだよね、昨今の世界って。

 

世界ってほど、世界知らないんだけどね。

僕の生きている社会・世界に、愛おしいほど、引き止めたいモノやヒトはあるのかなって思っちゃって。

 

思っちゃって。

思っちゃって。

書き留めたけれども、

やはり世界は虚しいままかもしれないな