「エッセイ書いたらいいのに」
「小説とか書いてよ、読みたいから」
と、言われ続けてきた。
というか唯一、人から重複して褒められたことが文章や言葉しかなかっただけなのですが。
で、僕自身も何度も書きたいと思ったけれど、
いかんせん、本の虫とは程遠く。義兄からオススメされ貸してくれた「キネマの神様」を数年掛かりで読み終え、返す際に姉に「読んでないでしょ?笑」と言われるほどのファッション本読みマンである。
バルタンに似てると言われたが、バルタンは優秀だ。
パソコンであれこれできるから、僕の特技は一本しか出演していないAV女優の名前や別動画を調べる根性ぐらいしかなくて、プログラムしようにもゲシュタルト崩壊してしまう。
いいかげん、努力や持続しなくても結果になるもの生まれないのか?
まったく・・・・。。黙祷。
なので、書き方も構成も全くわからないのである。
なによりも、僕が面白いだの言われた文章というのはノンフィクションであり、
実体験からじゃないと広げられないという想像力の無さが問題である。
自慰行為をするには動画を見るではなく、イマジネーションが良いと聞いたことあるが、僕はその方法を早熟に離脱してしまった。
そしてなによりも、一番言われる機会が多かったのは人と対話しているさなかである。
僕が投稿したSNSではなく、しっかりと話していて、その結果、何かしら生まれた言葉達。
それは間違いなく、僕の力だけではなく、
明らかに相手が居て成り立っているもので、その人達が引き出した宝箱なのかもしれない。
もはや寂れて錆ついてガラクタでしかない宝箱になりつつあるのだけれど。
対話形式が一番ポテンシャルを発揮できるのだけれど、
ピグマリオン効果が得られず自己肯定感がエンストする結果となった自分の人生(5割人のせ)は歪みにゆがみひねくれ、友達もおらず孤独なものとなった。
そのため、この年齢になってより友達がいなくなり、疎遠となり、女性にもモテず、
かといって、SNSでも全く馴染めず、肌に合わず、最大の魅力である面白い(黙る)所がマッチングアプリの右スワイプには必要がないというところである。
なので、対話する事もアウトプットすることも
こういうブログでしか無いという現実。
しかしそれも全く人が読みたいものにならないという現実。
しかし僕はエッセイを書きたい。職業を作家って名乗りたい。
だからエッセイを書こう。何を書いたらいいか、何をしたらいいか全くわからないことを延々と書いていこう。
そうだ!本を読まない作家もニューウェーブとして必要とされる時代が来る!
そうだ!書こう!愛を綴ろう!愛を叫ぼう!この世界の片隅で、、
はぁ、虚しい。寂しい。
孤独死しちゃうのかしら、あたし。
承認欲求なんてレベルじゃないぐらい承認されること以前に求められる事もなくなったので人としての価値がどんどん下がっていくもんだから、死活問題で承認してくれよ人類って思っています。
無いものねだりではなく。
なさすぎねだりです。
多くは要らないから、
たった一つでいいから下さい。
エッセイ。。。。
日々感じたこと、脳内で思ったことをすぐさま文字に変換できる機能があったらいいのにな。ってのを十年前から言っています。
おあとがよろしくないようで。
しめます。
ンチャ