( néant )

消費期限切れの言葉たち

死んで声かけず、死ぬ前に声かけろ。

今日は、絵に書いたような梅雨日和。

雨は降ったり止んだりと情緒不安定で、空は隙間一つ許さない闇深いまま。

天気が悪くて、気持ちが落ち込む。なんて、幻想だと思っていたけれど、

今日は、なんだか、心がどんよりとしている。

たぶん、天気だけでなく、ニュースを観たからかもしれない。

 

自殺。自死。縊死。

 

Lineを消した僕にとって、ニュースを知ることはいつもの作業ではなくなった。

自室のテレビは廃止して、プロジェクターを導入したし、作業しながら見聞きするのは、ドラマか、怪談、あるいは音楽か。

 

そんな生活をしていると、良くも悪くも情報が最小限に収まり

心の容量が快適になって軽くなった。

今でも、世の中には知らなくてイイことが多くあって、

ニュースであれ、ほとんど関係ないことばっかだったりする。

 

ユーチューバーや芸能人の恋愛なんてどうでもいいし、

政治家の失言や怠慢、忖度なんて今に始まったことではないし。

異国の戦争は、数字が増えるたび僕の頭の中からは、他人事になるばかり。

 

他者に目を向けることは、簡単そうで、難しいのかもしれない。

自分のことで精一杯。生きるには自分と戦いすぎるのかもしれない。

 

だけども、死んでしまったあとに、ああだこうだ言うのは、

自分を慰めたいだけの虚言に過ぎない。

相手を想っているようで、相手に重ねて自分を許したいのだ。

 

 

芸能人が死ぬたびに、光の速さで悲しさや虚しさみたいなものが人々に降りかかる。

全然関係のない自分や一般人まで、ウェルテル効果の影響なのか、なんだか、暗い気持ちになる。

想像もしていない負の物語が、衝撃的過ぎて読み進めることができないほど、手が止まってしまう。

 

 

「なんで?」

「悩みなんてなさそうだったのに」

「明るい人だったのに」

「ショック」

 

僕は、芸能人が自死を選んだことよりも、

死んだ芸能人に対して、みんなが述べる言葉に違和感を覚えて気持ち悪くなる。

吐き気は催さないけど、綺麗事のような言葉の数にうんざりする。

まったく、関係もない人なんだけど。

 

ニュースになるほど、コメントの数は増えるのに。

言葉の種類はワンプレートで、大衆食堂の定食のようなテンプレートばかり。

仕事で、コメントせざる負えない人は仕方ないとしても。

 

親交があった人が、軒並みTwitterなどSNSで一斉にコメントを出す。

その流れがすごく心にじとっと染み付いていく。

今日の梅雨空のように、晴れることもない世界を映し出してるようで。

 

故人を偲んだり、コメントしたり、悲しんだりは自由だし

どうぞご勝手にって感じなんだけど。

 

 

言葉を出すのは、簡単。

死んだあとならなおさら。

後悔だの、自責だの、そんなの気休めにもならない。

 

言葉の数以上に、気に留めたのだろうか?

相手を想って、連絡したのだろうか?

 

 

そんな素振りを見せなかった。悩んでいる様子などなかった。などと常套句のように聞くけれど、本当にそうだろうか?

 

僕は、そうは思わない。

絶対に、弱っているとき、何かしらサインを出したり、求めたり、かすれ声でも出して助けを求めていたかもしれない。

 

その些細なレベルに気づけないほど自身の心に余裕がなく、忙しい日々だったか。

あるいは、その人にそこまで興味を持っていなかったか。

 

悲しいと寂しいと叫ぶ声以上に、

助けたり、寄り添ったり、声を聞いたり、傍にいたり、

そもそも、相手のことを想っていたのか不思議になるのだ。

 

僕がひねくれているからってのもあるだろうし、

死生観なんて人それぞれで、親戚でもなければテレビの人だから

思い入れがあるわけでもないけれども。

 

みんな、死んでから、ああだこうだ言い過ぎる。

その毎度お馴染みの一連の流れに飽き飽きする。

うんざりするし、これを書きながらもどんどん暗い気持ちになる。

 

生きるために、忙しい毎日を過ごして心に余裕がないのなら、

社会問題だと思うし、減ってはいるらしいが、先進国トップクラスの自殺者数は大幅に減少しないでしょう。

 

死んだあとに、偲んで、寂しがって、悲しんで

一体、誰が得するんだ?誰が嬉しいんだ?

僕が死んだとしたら大迷惑だ。

そして、冥界からきっとツッコんでると思う。

 

「ふっ、苦笑 生きているときは見向きもしなかったくせに笑」って

「気にも留めなかったのに、悲しいのか?不思議」って

まぁこれは僕の性格が、著しく健康体に遠いからこそだとおもうけど

死人に口なしだから、答えなんてないかもしれないけど。

 

 

いつ死ぬか、誰にもわからない。

でも、いつかは死ぬってみんな分かっている。

それなのに、自分は明日、死ぬなんて誰も想像しない。

自分はまだ死なない。と、今度って、いつかって後回しにする。

 

歳を重ね疎遠を経験した僕にとって、

いつか。や、また今度って言葉が、どれだけ罪深くて、微塵たりとも懺悔にもならないことを誰よりも知っている。痛感している。

 

いつかは、絶対こない。

今度も絶対こない。

 

待って野垂れ死ぬだけである。

求めた先の相手に気がなければそれまでだけど。

少しでも互いのことを想っているなら、興味がしっかりあるなら

待たずに、求めて、いつかや今度を前倒しにして、

ある種、これに関しては生き急ぐべきだと思う。

 

ウーバーイーツやアマゾンみたいに、

速く、簡単に、便利に、好きな時に届くわけじゃなく。

めんどくさくて、遅くて、好きな人ほど難しいのが人間関係だけども、

モノや、趣味には到底及ばない幸福がそこには待っていると思う。

 

人間だから、人だから、

人でしか、拭いきれない、癒やしきれない特別ななにかがあると、僕は思っています。

 

 

死んだあとのどれだけ重く深い言葉よりも、

生きている間に、意味もなく交わしたたわいない言葉の方がよっぽど価値がある。

 

死んで声をかけるんじゃなくて、生きている間に声をかけてほしい。

なんでもいいから。かっこよくなくても、丁寧でもユーモアじゃなくても

なんでもいいから声を出してほしい、かけてほしい。

きっと、それは伝わる。簡単な言葉でも挨拶でも、きっと、心に浸透する。

 

優しさが負担になったり時に、傷けたりするかもしれないけども

やさしさでしか繋がれない思いはちゃんとある。と、信じているし、信じたい。

 

 

外野の一部である僕が、ああだこうだ言うのもおかし話なので、

知らない死人に思い馳せるのも、違う気がしますけど。

 

ベンチ入りしておいて、あるいはレギュラーとして試合に出ておいて、試合中は一切守るつもりがない外野手がああだこうだ言うのはなんだか虚しいなって思ったので、書かずにはいられなかった。

 

 

 

でも、よくよく考えてみたら

弱っていても、サインを出さない、出せない人も多いかもって思えてきました。

基本的に、僕は自分から相手へ連絡しません。求めません。

それは、いろんな経験があって、そんな人間になってしまったんですよね。

自分に自信がないのと、自分から求めるほどの魅力もないしなあ。って殻に閉じこもっていたから基本的に送らず、相手待ちするばかりでしたが、

 

そんな僕でも、さすがに寂しさに押しつぶされそうだったり、弱って、ただただ話を聞いてほしくて、求めたことも何度かあります。そのときは自分から連絡しました。

 

恐る恐る、申し訳ないなぁーと思いつつも、

背に腹は代えられない思いと、人が恋しくて、送った連絡。

 

でも、ほぼそういう時に限って、思いは打ち砕かれる。

藁にもすがる思いで、飛ばした紙ヒコーキは、落ちる前に手で叩かれてきました。

 

人間なので、気分やそのときの体調など、変化はあるものと思うが、

そんな時に限って、彼女らは、そっけない。

自分が弱ったときは求めるけど、そっちからは違う。と、ナイフで突きつけられたように感情を引っ込めるしかなかった。

 

感受性は昔に比べて鈍化したとおもうけど、

人とのあいだにある温度差に、僕は上手く適応できない。

すぐ感じてしまう。無機質なフォントでも、冷めきった自分とは遠い世界にいるような温度差を感じ過ぎてしまう。

 

だから、僕は自分から求めるのをやめた。

相手から求められるときだけ対応した。

話を聞くだけ聞いて、笑って、ただただすごした。

それで良かったけれど、疎遠となった今では、そういったこともなくなって

八方塞がりな人生をどうにか生きている。

死ぬのは痛いだろうから、ちょっと怖いものだろうから、

まだ少しだけ希望を持ってしまっているから、僕は生きている。

 

僕が死んだところで、芸能人みたく、知らぬ人まで巻き込むこともないどころか

人知れず、死んで、消えていく。記憶も記録も残せないまま。

 

それだと、今までどうにか生きてきた自分にさすがに失礼だし、

少しばかりはお土産を残していかないと成仏も出来やしない。

 

地縛霊になりたくもないから、

もうちょっとだけ、というか、なんとなく生きていよう。

 

なんとなく。

 

 

松尾スズキイン・ザ・プールって映画での

ふせえりのように。

でも、気にすんな。

人類のほとんどはだめなのだ~

 

ってな感じぐらい気楽に生きたい。

って書くのは簡単。言葉にするのも簡単。

 

 

好きな人が欲しい。

そして、好きな人に会いに行きたい。

 

明日、死ぬかもしれないなら。

幸せを感じたあとに逝きたいから。

 

 


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