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考えを改めて前に進まないといけないとわかっているんだけども、
生きることに色気を見いだせずに
ちっぽけな哲学や思想がどこまでも退廃していて絶望の湯に浸かりっぱなしで
どうしても、太陽の下より光が差し込まない地下に長居してたらどうしたらいいかさえもわからなくなってしまった。
若気の闇というのは
全然闇なんかじゃなかった。
確かに、当時は当時で苦しかっただろうが、
若い頃ってのはまだ希望がある、それこそ可能性がいくらでもある中で落ち込みながらももがき続けてる段階だったはず。
老いて感じる闇は計り知れない
痛みには慣れたから無痛だけど
ひたすら重くひっついて剥がせやしない
それは、希望の光源すらなくって可能性すらなくてじんわりと闇が続いている感じ。
無とはこういう事かと、
ようやく解った気がする。
これが無なんだ。
どこまでも続く、期待のなさ、
人間の終末期を知ったかのような絶望感。
恐らく今、
僕として生きているのは、肉体を預けた屍。
僕である彼が、用もなく流されることも吹かれることもなく歩いている。
魂がない屍を弄ぶ人間はいない
魂がない屍に色気なんてないのだから
魂があった僕を、僕は覚えているだろうか
魂があった僕を、君は覚えているだろうか
手遅れだ
心を殺しすぎてしまったようだ
懐かしめばよい、期待した夜を