( néant )

消費期限切れの言葉たち

書きたいのに書けない。下書きばかりが増えていくのは歳のせいですかそれとも自分の中身のなさに気付いたからでしょうか。

全てを消し去りたい衝動にかられることがある。

全てを消し去りたいと言っても、消し去るほどの自分自身はこの空間には存在していないことを思い知らされて深い沼にハマるだけども。

全てを消して、去った後に立ち止まって後ろを振り返って追ってくる人を待っていたいだけなんだろう。

 

自己肯定感がないとよく言われる。

自己を肯定する要因もないのによく言えたもんだな。と想ったりする。

 

そういう人にはそれなりに友達がいて、それなりに恋をしてきて、それなりに笑ってそれなりに悲しんだりするんだろう。

誰かと一緒にいて、自分の為に誰かがいて、誰かの為に自分がいる。

そう、感じる瞬間があるから強くなれるはずだし、時には落ち込んでも、また顔を上げて幸せだと感じる事ができるのだ。

誰かのためにしてあげたことは、結局うれしさとなって自分に還ってくる。

それが、いつしか自信になって自己肯定感が生まれる。

 

 

僕は違う。そうなりたいし、そうでありたいと思うけど。絶対的に違う。

こじらせレベルではない、重症レベルである。

 

自分を愛すよりも、誰かを愛したい。

自分を守るよりも、誰かを守りたい。

 

自分はもう愛しすぎた。たくさん撫でて、たくさんと庇って、いくつもの傷を防いだし、傷つくまえに先に誰かを傷つけたのだし。

もうコレ以上ないってくらい、愛した。

自分を愛した先に自己肯定感はなかった。

自分を愛したように愛そうと思ったけど、愛せなかった人がいる。

愛していたはずだったけど、愛されていただけで、愛を棚に上げてどこまでも傷つけただけだった。

愛されてたって瞬間は、その時に気づいて、身に沁みるべきだと思う。

失って気付くと、負の遺産にしかならない。

その愛がおおきすぎて、やさしすぎて、何処に行っても、誰と居ても、何をやっても見つからない。

 

僕は常に心のどっかに穴を開けて生きていたきがする。

ほとんどが自分で選んだ剣先で、突き刺しては悲観していただけなのだが。

あの日からもう2年は優にすぎて、いつの出来事でいくつの物語だったかも忘れしまっている。

忘れていくのはいつだった自分に不利な出来事か、自分にとってそこまで重要じゃないと脳みそが判断した物語ばかり。あとは彩り豊かに装飾された美品。

勝手すぎる。

 

出会って、知り合って、好きになって、育んで、ぶつかり合って、別れる。

全部を覚えていたいのに、人じゃ無理があるようだ。

断片的に覚えているあの日からもう2年は優にすぎたが、これからもっともっと砕けて小さくなって、ため息を吐いたら飛んでいってしまうのだろう。

でも、覚えている。あの日に空いた穴はとても大きすぎて未だに塞ぎきれないということだけは。

 

時間や心容量の問題で僕を忘れることはかまわないけど。

僕だけは忘れないように時間と心容量に抗っていたいよ。

 

あの時、少しは自己肯定感あったのかな。

 

僕が嫌いな夏が過ぎ去ろうとしていて

僕が好きな秋がやって来ようとしてる

 

全てを消し去っても遺るものができたらいいな。なんて

夜、窓から入ってくるいつもよりひんやりした風をあびて想ったりしている。

全てを捨てて、全てを消しても、立ち止まらず後ろを振り返らないほどの自信を持てたらいいな。なんて

 

 

なんて、なんてね。

 

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