( néant )

消費期限切れの言葉たち

本当に書きたかったことは見た映画のことだったのだけど

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僕は待っていた。この季節を待っていた。

1年の中で1番嫌いな季節を耐えて耐えて、やっと再会できそうである。

 

秋はもっともセンチメンタルになる季節かもしれない。

だけども、春や夏のセンチメンタルさとは一味も二味もちがうきがする。

秋のセンチメンタルさはすごくヘルシーである。

 

優しい。でも、時に冷たく突き放す。

 

僕はこの季節の変わり目を毎年感じる為に生きているような気がする。

大袈裟かもしれないけれども。

それくらい僕にとっては歓喜に満ち溢れてしまう。

一人であっても、夜な夜な秋の夜風を浴びながら10,000曲以上の音楽を垂れ流す。

ひたすら垂れ流す。

 

この季節にぴったりな音楽がたくさんありすぎて僕は外に手をだして、腕一面に風を感じようとする。

 

手のひらを広げてみる。

指先を開いてみる。

関節が許す限り腕を回してみる。

風は指先から体まで伝わっていく。

というより、風を身につけようとしているのかもしれない。

 

 

秋って躁でもなく鬱でもない気がする。

どちらかと言えば中間に位置していて、どっちもすごいスピードで行ったり来たりする。

 

僕は手のひらを広げて、有り余るほどの音楽に耳を澄ませて、ときおりため息をついている。

 

そして、誰かをふと思いだしてみる。

少しだけ笑みがこぼれて、また少しだけの悲しみがこみ上げてくる。

 

答えもわからない感情に

一喜一憂してしまう。

 

すっかり冷えてきた夜風に

赦しを求めてしまう。

秋は優しいので、あっさりと赦しをくれる。

だけど、代償は大きい。

赦しと共に、拭いきれない思い出と悲しみで突き離す。

 

もう、何年目の秋を迎えただろうか。

あれから、何か変わっただろうか。

いつもと変わらず、秋に歓喜しては惑わされているんじゃないか。

 

それでも、許してください。

やっと、待ちに待ったすきな季節ですから。

今は、このセンチメンタルさに浸りたい。

 

今、となりの車内にいる僕はどんな顔をしているだろうか。

幸せそうだろうか、疲れているだろうか、悲しみにあふれているだろうか。

そんなことばかり考えてしまう。

 

笑って。とサインが出たら余裕で実行できる。

ただ、泣いて。と出たサインは難しすぎる。

 

僕は、悲しい。

僕は、苦しい。

僕は、虚しい。

 

涙を流せば、悲しみというのだろうか。

笑み零せば、楽しいというのだろうか。

 

みんな、だれでも、証拠が無ければ人に寄り添えない。

そんなことばかり思っても理解されないことが虚しい。

 

僕は笑える。いくらでも。

甥をあやしながらこの上ないくらい笑っている。

 

僕は泣けない。どうやっても。

お涙頂戴な映画もこれ以上ないくらい真顔でいる。

 

 

だけど、たしかに

僕は悲しいし、泣きたいし、苦しいし、歯痒いし、虚しい。

誰にも言わないまま、言えないまま、隠すつもりもないのにさらけ出す隙すらない。

 

いっそのこと誰かに甘えたい気分なのに、誰にもできやしない、そして、受け入れて欲しい人ほど遠い空の向こうで、今、目の前にあるやさしさには触れようとしない贅沢病。

 

どんな形であれ、どんな関係であれ

求められることはいつだってうれしいのかもしれない。

その代償を割り切ることができるのならば。

 

 

きっと再会できたばかりの秋に

僕はいつもと変わらず、嘆き癒してもらうのが目に見える。

 

消えるはずのない音楽と共に

ずっとセンチメンタルさを垂れ流す。

 

無性に人に会いたくなってしまう

何も言わず、何も言えずに抱きしめたい夜が何度もやってくる。

それでも、寝てしまえばきっと元どおりになる。

 

 

ぼくは、今年も

女の子だったら良かったのにと思って目を閉じる。