( néant )

消費期限切れの言葉たち

しりめつれつ

桜 桜 桜 さくら さくら さくら。

 

桜が一体どうしたっていうんだい。

さくらが一体なんだっていうんだい。

 

僕はこの季節が大嫌い。

名前の一部にもなっているこの季節がだいきらいだ。

 

式というものはとってもきらい。

春、新緑に包まれる暖かさよりも

冬、寒いと布団を抱きしめる方がすきだ。

 

人々にとっては希望や不安、期待といって

色んな感情がめぐる季節だと思う。

 

僕はといえば、春だからといって

駆け巡るような感情なに1つありやしない。

今みたいに嫌いだって感情以外は。

 

一年を通して僕にはいろんな感情がめぐってくる。

春だから頑張ろうとか夏だから爽やかに過ごそうだとか秋だからすこし誰かを想ったりだとか冬だからホットコーヒー飲もうだとか

 

そんな四季折々の感情など順番問わず

一年間ランダムでやってくる。

 

頑張ることにはもう負けたし。

爽やかには程遠いくらい荒んでいるし。

想った誰かはいつだって去れ人だし。

ホットコーヒーなんて猫舌なもんでアイスオンリーだし。

 

僕はこのブログを始めたとき

確かに書きたいこと、言いたいこと、思っていること、たくさんあった。

友達は少なからずいる。いるがなんでも言えるわけじゃない。

この人にはこの話はするが、この人には同じ話は出来ないとか分けるのがベストだと思っているし言えないわけではないけど相手の事を思ってなにも言えずにいたりする。

 

なんでも言える。なんでもぶつけて、甘えて弱く脆くさらけ出して、求め合える人が今までいただろうか。と思うとそうでもないけど。

なんとなく、年と共になんに対しても億劫になっちゃって諦めが諦めたと意味合いを持つ頃にはもう時間は進んでいて、追いついていない。

 

昔からSNSはやってきた。

あの頃はよかった。特定のSNSしかまだなくて、コミュニティも充実していて

特定の話し相手を見つけられたし、仲良くなるツールも少ないが故に濃密だった。

 

今はアリすぎている。あふれかえるほど。

どれがいいのか選ぶ前にどれを心のゴミ捨て場にしようか先に選ぶくらいだ。

確かに便利だ、数分で話し相手を見つけることができる。

レスポンスは早くなったが、どうだろうか。

昔より僕は満たされているだろうか。

手軽に温もりを得られただろうか、安易に寂しさを慰め合えただろうか。

濃密な時間はそこにあっただろうか、もしかして空っぽなんじゃないか。

 

今の僕みたいに何を話したいのか分からなくなってくる。

ありふれているから。

 

誰に言えばいいのか、誰だと受け入れてもらえるのだろうか。

とか考えて歩き始めるのが間違いなのかもしれない。

 

最初から人間はシンプルで、好き嫌いで出来ているはずなんだけど

僕たちは嫌われる事にすごく敏感、好かれる事にも疑心暗鬼。

 

ほんとは誰だったら、とか考える必要なんかないはずだ。

見たい人だけみればいいし、聞きたい人だけ聞けばいい。

駄目っと思ったら離れたらいいはずなのに、お互いに我慢なんかしちゃうから

歪みが生まれる。

 

僕はずっと好かれたいと思って生きてきた。

ただ、今は好かれるより嫌われたい。

アホくさくて強がりに見えると思うけど

嫌われたい。

 

嫌われたらもう終わりじゃないですか。

嫌われてるのにもっと嫌われようってならないしね。

一方好かれるってことはそこから始まる。

もっと好かれたいとおもって、逆に好いてしまいたくなる。

終わりがない、触れられる距離に近づく。触れると傷つけ合う。

終わりがあるとしたら、それは嫌いか興味ないってことになって

余計に苦しみはまして、今の僕みたいにゴミのようなネガティブが生まれる。

 

あ、でもまてよ。

ゴミはネガティブじゃないな。リサイクルされるものもあるし。

僕の思想はリサイクルできないし、僕しか理解できない。

 

 

そんなゴミを吐く為にTwitterとは別にブログをはじめたのに

まったく更新しない。常に頭の中はまっくろくろすけ

言いたいことも常に頭にあるはずなのに

なぜだか更新できない。

そして言葉は消える。あのときの想いもきえる。

 

昔は良かった。なんて言ったけど

そんな言葉はあまり使いたくない。

昔は良かった。っていうけど

思い返してもそれなりに昔は昔で苦しんでいたはずだし。

でも確かになんでも言える何かはそこにあった。

 

 

ときたますごく怖くなるときがある。

僕が思ったこと、思っていることが誰からも理解されなくて

または理解されない気がして孤独に押しつぶされそうになるときがある。

 

好かれなくていいし嫌われたほうが楽だと思っているのにも関わらず

ずっと付き合って慣れたはずの孤独に殺されるときがある。

 

無性に寂しくて、無性に苦しくて、自分が変だと思って自分が間違いだとおもって

本気で独りを覚悟しておかしくなる。

 

理解されたいってわけではないけど

本当に誰も誰にも見向きもされないのかもしれないって感覚は

この社会、生きる点においては致命傷になりかねない。

その瞬間全てが黒い点になる。じぶんが見ている世界が全て黒くなる。

誰も信用できなくなる、誰しも敵にみえる。

 

僕はいまこうやって書きながらも

自分は大丈夫なのかやばいと思われていないか心配になっている。

何を今更。どう思われたっていいよ。って心が小さくなっている。

 

こわい。全てにおいて。

なにもかもこわい。

こういう時は悲しい音楽をきいて重い映画をみて

思いっきり落ち込んでいる人と堕ちた会話をしたほうがいいのだろうけど

誰しもファッションメンヘラにしか見えない。

 

もうだめだ。

僕は彼女と別れてから

腐敗した。

 

時間がたって何もかも奪い去っていくけど

楽しかったこと、笑いあったこと、嬉しかったことば、悲しかったことばそんなものは徐々になくなってしまうけど

残念なことに憎しみだけがのこってしまった。

 

引きずっているつもりはないし

好きなわけでもない。

女々しいと思われたくもないけど

時間で解決できるほどの関係、人間ではなかった

少なからず自分が思っている分では。

 

長い文章をだらだらと書くのがすきなもんで

言葉遊びをよくして考えるのがすきなもんで

4コマでおわるはずの物語をハリーポッターばりの分厚い物語にしたい人なもんで

 

ごめんだけど、かたるよ。

僕は君が憎くて、壊れそうになる