( )
数ヶ月振りにインスタに投稿しようと画面を開いてみた。
そこで映るのはどれも羨望眩いタイムラインで。
即閉じてしまいたいけど我に帰る。
みんなデータだ、みんなわざわざ不元気な姿を載せるわけなんかなくって。
全部等身大より数パーセントの見栄や背伸びが存在しているのだから。
ハートで生きる活力を取り戻し
笑顔になれるなんて馬鹿馬鹿しい。
だから僕は人にいいねをしない。
いいねと思うことがあるならばするが、大抵いいねよりも相手の裏側や嫌なとこが目につく。
もはや才能である。
矛盾や図星を突くのが得意だが女性が一番嫌いなタイプである。
それでも突いてしまうからバカ真面目で不器用なのだろう。
僕は自分が思ったことを素直に投稿する。
誰が見ようかいいねされなくてもどうでもいい。
そう思って投稿するようになってコアな人達に出会える。
素直に僕に興味を持ってくれて気にしてくれる人だ。
年々言葉も雰囲気も忘れてしまっているけども、それでも波長があう人はたまに見つかる。
そして少数だがたのしみにしてくれてる人がいる。
だけども、開いて投稿しようと思い言葉を振り絞るがなにも出てこない。
でてくるのだが、まとまりも面白さもない。
それに悲しみも中途半端である。
何よりも、ノンフィクションの物語を自らが忘れかけていることに絶望している。
言葉も感情もあの日の空模様も急遽かけなおした音楽も君の寂しそうに笑うとこすら忘れかけている。
あの日たしかに僕は笑って、そして苦虫を噛んで悲しみも苦しさも腹いっぱいに蓄えていたはず。そして、生きていた。死ぬほど嬉しくて死にたいほどその夜に向かって走り出していた。
それも過去となって、今さらまとめたって
命も繊細さも腐れきってしまっていた。
必死に想い出そうとイヤホンをして
静寂すぎる夜に煙に乗せた便りを追う
もう帰ってこない
梅雨らしくない梅雨に
気が滅入るほど聴いた音楽
彼女の愚痴も彼女のツッコミも
笑った回数、笑えてた相性も
助手席に乗った彼女が窓を開けて辛いと吐いたフリスクの行く末のような轢かれる想いでたち
笑えるように書き連ねることも
キザでロマンチストのように雰囲気で庇うこともできない
言葉がでてこない
うまく、きもちよくでてこない
喉以前に肺にもいない
もどかしくてくるしいのだ
どうしたもんか
僕はかっこつけることもなく
ダサくて気持ち悪くてもいいから
僕だけの僕を、僕が生きていた証を書き連ねたいのだけど
裏垢やって呟いて
少数気鋭の素晴らしい人達に気にしてもらって言葉を交わして仲を深めた頃の自分はもういないしそんな詐欺まがいの言葉を紡ぐことができない
ずっとずっと詐欺師でいたかった
ずっとずっと彼女の吐き場所でありたかった
どんな形であれ
愛し続ける人は生きるために必要だと思う