( néant )

消費期限切れの言葉たち

たまには腹が痛い夜もあっていい。

お腹が痛い。 僕のお腹が悲鳴を静かに上げている。

 

頭痛や風邪には強い。

なぜなら中々かからないものだから。

 

腹痛はよくなる。

緊張するとすぐなる。

断食しても腹痛になる。

 

食べ過ぎたつもりじゃないのになったりする。

自覚がないだけだろうか。

 

腹痛の時は困る。

誰にも見せれないオリジナルのヨガのポーズでもしてなんとか痛みを和らげようとする。

もちろん、和らがない。

相棒の正露丸を手に取ってみる。

『はぃ〜?』と右京さんの声が聞こえる。

実はものまねのレパートリーに入っている。

 

今、滑ってるのがすごくわかる。

でもそれどころじゃない。

正露丸は効き目が遅い。

ヨガポーズしながら悶える夜もたまにはあってもいいんじゃない。

 

とは、到底思えない。

絶対に、思わない。

 

車を運転しながら思った。

お腹痛いのに生きてる意味って?

車を運転しながら叫んだ。

Where is my happiness!!!!

 

チクリチクリと刺すならまだしも

僕の性格のようにあまりにも曖昧で微妙な鈍痛だからなおさら困る。

 

叫びようもない。

助けを呼ぶ必要もない。

 

まるで、自分が投影された腹痛のようで。

笑ってしまい、音楽をランダムする。

 

寂しいと悲しいと、苦しいと

叫びようもない。

助けを呼ぶ必要もないのだ。

 

音楽に甘えて、映画に逃げるのにも疲れてきた冬間近。

歳を重ねるたびに、人との付き合いが少なくなってくる。

学生時代のような笑い声や深夜に呼び出され向かったエネルギーも今じゃない。

 

老いたわけではない。

丸くなったわけではない。

 

時間がただ、流れただけなのだ。

 

誰も悪くない、自分も彼も彼女も。

誰も悪くはない。

 

だけど、今じゃ。

付き合いがなくなる当たり前の事実よりも、音楽を語り合った友達が好きだった曲を忘れてしまっていた事や、好きな映画を語り合った彼女が今じゃ映画を観なくなってしまったことが、すごく悲しい。

 

誰も悪くないんだ。きっとね。

時間がね、ただ、時間が流れただけなんだ。

 

当たり前のように、

当たり前を傷つけないようにみんな人生を確かに歩んでいる。

 

僕とは正反対だけど

今じゃ羨ましいなんて、憧れることより

ため息を吐く手前。息を飲み込んでしまう。

 

僕は、僕を諦めて、僕という人を僕という人生に存在させないでふわふわとただ生きている。

夜の外の風が気持ちよくて、ただ生きている。

 

いくらでも探せば気持ちよくなる音楽もある、映画もある。

だけど聴けば聴くほど寂しくなるばかりである。

 

君たちに勧めたい音楽があって

君たちと語りたい映画があってって

 

もう、そこには時間が流れてて

君達は、あの日の君たちを忘れざるおえないんだ。

 

そうだった。

僕は過去を抱いてばかりいるから

ずっと覚えているのだろう。

誰も覚えてないような些細な出来事も、僕からしたら生きる喜びだったはず。

 

重いかな。重いだろう。

飾りつけた夜は嫌いなもんだからさ。

 

裏垢もやめて。

素敵な人たちをたくさん失って。

ついでに自分の言葉も無くして。

 

これでよかったのかななんて思うけど

 

ちゃんと始めた本垢も見たくなくてログアウトして、無数にあった下書きも消えちゃって悲しくなっちゃって。

 

でも、生きてるもんで

寝て起きたらどうでもよくなってって

 

伝えたいことはこんなことじゃない。

けど、これから下書きせず、全部投稿することにした。

 

誰かが惹かれてくれて、詠み取ってくれた言葉はもうないな。かなしいな。

魅力なくなったな〜

 

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