( néant )

消費期限切れの言葉たち

ラブソング歌いたいけど、ラブが少ない気がするよ。

『日々あなた思い 一生が終わればいい』

 

たまらん。

なんて、センチでメンタルな歌詞なんだ。

 

 

故郷びいきしているわけではないが

モンパチは好きな方である。

 

沖縄感を出しすぎている感やハッピーソングが多いのがあまり馴染めないけども好きな曲は何曲かあるしたまに聴きたくなる。

 

なんなら、キヨサクのファッションを真似したら僕でもちょっとおしゃれに見えるんじゃないかと勝手に親近感を持っている。(上からクズ)

 

最近のrainbowって曲がお気に入りなのだが、モンパチといったらこれってアルバム『message』の中身は捨て曲ない気がする。

 

僕は当時小学生だった気がするし、バリーボンズのHR世界記録を抜くと文集に記し実に夢溢るる小学生らしいお調子者でバカみたいに夢を乗せて白球を追いかけていた気がする。

 

うろ覚えだが、勉強もできて野球も上手い、そしてその他のスポーツも上手という天が二物以上与えたようなイケメンチームメイトがいて、親同士も仲良く姉同士も友達同士ってことでお泊りしたり休みに川に連れてってくれた思い出があるのだけども。

北部にある川に行く長い長い車内の中で彼のお姉ちゃんが『message』のアルバムを見せてモンパチの話をしてくれた気がする。

 

今、その光景が頭に浮かんだ。

車内はメロコアらしく軽快なノリがいいモンパチメドレーだったけどね。

 

僕がモンパチを聴くようにはその後だった気がする。

例えば、僕はおませちゃんでThe末っ子長男でわがままだっただろうしお調子者だったから

中学の頃に携帯を持っていた。

親の仕事の営業かなんかでPHSをその前から持っていたのだけどね。

その影響もあって早熟携帯世代になったのだけど。

 

今じゃ中学生に携帯なんて当たり前だろうけど当時は持っている人がクラスに一人でもいたら異質扱いされるほどだった。

持つ人がいないのが当然の時代だった。

 

パケホーダイなんてまだ開拓されてない時期でね、やっとこさ出たauのwinって機種かなんかでパケット通信し放題ってことで思春期の衝動をピンク動画にぶつけたりして案の定クリック詐欺に遭って、アホなのか変にクソ真面目だからなのか嘘をつけず親に恥ずかしながら報告してグレーな空気が流れたりしてねって。

笑っちゃうね。時効だよ、人生なんて。

 

宮古島にいる同い年の女の子と音楽の話で盛り上がったときに、彼女がモンパチの『月灯りの下で』って曲を勧めてくれたことがあってね。

それから聞くようになったんだよね。

今思えば、くそみたいな人生でも青い春と呼んでいいのかもと思うこともあったもんだなあ

 

 

PHSパケホーダイも死語かよ

PHSって懐かしい

ピッチっていうし、後にウィルコムになるんだけどね。

(この数年後、僕はウィルコムを持ち始め新潟の一個下位の邦ロックが好きな女の子と夜な夜な電話をしてme me she を電話越しで一緒に歌ったりしてさ、女々しさに歯止めがかからなくなって行くのだった)

 

(回想シーン)

 

元気してるかな〜

生きてるかな〜

今もロック聴いてんのかな〜

結婚して子どもとかいるんかな

あ、名前も思い出した。

気持ち悪いでしょ〜〜〜〜

人から記憶力いいねって言われることがあるけど些細なことすら覚えてるから記憶力いいのかもしれない。

もしくは、女々しいから心が常におセンチだからその時々の記憶を釘付けにしてしまってるのかなあ。

アルツハイマーになっても絶対に忘れたくないよ、映画の好きなシーンを覚えてるように僕はどんなに価値がなくとも僕自身の物語を大事にしたいし記憶していたい。

君達や僕がたしかにその瞬間息遣いを通わせていた証になるのだから。

 

新潟の彼女は僕の彼女ではないし

もちろん会ったこともない

たわいもない話をして音楽を語り

寂しさを紛らわしていただけだろう

 

僕は彼女を覚えていて彼女と歌った

me me she のシーンが焼きついている。

彼女は僕を覚えていないだろうし

覚えていなくても全然いいのだよ

元気にしてるかな〜って結果や答えが知りたいわけじゃないし、むしろ重要ではない。

 

刹那なるタバコの煙に乗せて苦笑いするかのように、または吐息をあの紙ヒコーキに乗せてくもり空わってくように。

 

『元気ですか 君は今も悲しい顔してるの』

 

紙ヒコーキ飛ばしてみたいけど、今じゃ飛んだ行方ばっか追ってしまいそうで悲しいのだけどね。

 

僕は女性の笑った顔よりも悲しそうや寂しそうな顔が好きである。冷たい顔もね。

素直に心ん中を訊いてみたくなるから。

それに、笑った顔よりも一番素な気がするんです。

自然体で、ぼーっとしてたりね。

化粧で綺麗に飾る姿もいいかもしれないけども、前会ったときよりちょっと疲れてて、肌が荒れてたり、右頬だけにデキモノがあったりとそういう姿を見ると、美しいと思ってしまう。

人間らしくって、頑張って生きてて、なんかあったのかな、僕のせいかななんて思って好きなんだよなあ〜〜。色気もあるきがするしね。

(脱線)

 

 

それに、微かに思い出して、味わう前に消えるような思いだけでいいのだ。

自分が思いだしたいだけだし、自分のための処方箋でしかないのだから。

そして僕自身、そう思われたいっておもう。

 

 

僕みたいに明確ではっきりとは言わないし、そこまでは要らない。

数年後、数十年後、ありふれた日常で触れる音楽だったり映画だったりそして言葉然りの些細なきっかけで

 

 

『あ、あいつ何してんのかな』と、

笑って黄昏てさ

まさに映画の横道世之介的なイメージで

 

 

僕がそこにいたという記録が誰かにとっての記憶となって、チャプターとなって回想シーンの中で生きていたい。

 

 

ありふれた言葉だけど

僕は記録よりも記憶に残る人になりたい。と、近頃よく思うのだ。

それにしては、誰彼のために尽くしてきたわけじゃないし全てにおいて中途半端だったかもしれない。

傷つける身勝手な優しさを振りまいたかもしれないし、印象に残るのは顔だけにしてよと見た目のインパクトに中身が伴ってなかったかもしれない。

記録に残るほど、喜怒哀楽を共にしてこなかったはずだし殻にずっとこもっていたはずだから贅沢な願望だと思う。

 

 

でもね、でも、微かな望みとして

思いだす何かがあったらいいなって思うのよ

それってすごく幸せじゃないってね

主役じゃなくってエキストラでお腹いっぱいだからね。(エキストラでも画力でカットされそう)

 

まさに、ユニコーンの『すばらしい日々』がぴったりな気分である。

この曲を今の季節に聴くとすごく会いたくなって困る。

会いたいって言いたくなってしまってだらしなくなるから必死に抑えて自分のメールアドレスに会いたいって送った日もあった(闇)

 

『懐かしい歌も 笑い顔も すべてを捨てて僕は生きている』

 

はふう。

モンパチの話書こうとしたらこれだよ。

オールスター感謝祭だなあって

音楽っていいな、抱けないけど

込み上げる悲しみを抱えてばっかだけど

 

 

まあね、贅沢させてよ、これくらいはさ

まあ、相手が思い出したなんて言わなきゃわかんないことだけどね。うん。

 

 

人が本当に死ぬ時は忘れ去られたときだって誰かが言っていた気がするし

本当にそう思うんだなあ。

かといって、毎年遺影の前で拝まれてもなんか煩わしい。わがままですね

でも僕みたいなクズはねきっとあの世から、文句言うと思うんだ。

 

『生きてるときに求めてこいよ〜バカぁ〜』ってね。

 

 

いつぞやの放課後、数人の友達とご飯食べにいった帰り道、海に寄り各々好きな体勢でだらんとし、だらだら話をして、淡々と星空を見て、夜の海っぽい音楽を誰かが流し、それぞれの物語に黄昏ていたあの頃と同じ。

あのときも同じようなことを言ったのを思い出したよ。

 

元気にしてるかな〜って呟いたら

友達が聞いてくるもんだからさ

元気にしてるかなって思うだけで充分なんだ

元気かどうかは必要じゃないって言ったらね

こいつ何言ってんのみたいな雰囲気なったけどさ

 

あのときみた

星の名前も覚えていないし、輝きも忘れたけども僕はずっと誰かを覚えているし、そのときは嬉しくなって輝いてるきがする。

 

 

モンパチから脱線運転しすぎて

今更なんだけど。

 

始めの一文は

琉球愛歌の歌詞の一部なんだけど。

 

なにがいいかってね

琉球愛歌は琉球だけにね、沖縄だけに

平和を願う歌になってると思うんだよ

 

勿論

それぞれの歌詞もしっくりくるんだけどね

小さい頃は平和=戦争がないって概念だったわけだよ。

でも、今となっては平和ってそれじゃない感が強くって。

正直、頭でっかちになってるわけ。

 

戦争しないから平和かといえば

ずっと生まれてから平和なわけで

かといって国外では毎日のように戦争が起きてたりしてね。

戦争がないから平和となればね

当事者じゃないし住んでる国は本当に平和なんだけど、そうじゃないよねって。

 

戦争はなくても平和じゃない気がしてならないのよね。

たしかに武器を持って意見の相違や利権争いや報復を大義名分にして殺しあうことも相手に攻め込むこともないけども。

 

小さなことかもしれないけど

僕らは毎日傷つけあってる

小さな言葉の棘が心に残ったままだったりするし、顔色伺って好かれようと自分の良いとされてる部分だけを誇張して膿が自分自身に溜まってゆくし、相手に壊されるか自分で追い込むかだったりする。

 

 

相優しさのつもりで放った言葉が誰かを殺したりする。

誰かにとったら一緒に居た意味を何も問うことなくただの会話だって無情に過ごして忘れているかもしれない出来事だって、僕は傷ついてるかもしれない。

 

 

傷つけあって生きていく

傷つけあって生きることが人間かもしれない

 

ならば平和なんて理想郷で実現しないこと

 

自分が平和と思い込めばカップラーメンが出来上がる前に解決なのだけどね。

 

平和とか難しいし、世界なんて変えることできないし、僕は変えようとも思ってないよ。

自然な摂理かもしれないしね。

平和主義者でもないし偽善者かもしれない

テーマが大きすぎて、考えたくないし、ハードワークが必要だからね。

この歌の反戦歌っぽいとこや平和への願いには声を挙げるほどしっくりは来てないよ。

 

ただね、

平和を願いつつ、反戦を問いかけつつ。

この熱量をそばにいる大切な人に向けてる想いがすごく好きなんだ。

そこが共感できるし、好きな人や大切な人を大事にしましょう。と目を向けようと思わせてくれるところが一番身近なピースなんじゃないかな。と心に気づかせてくれるとこがグッとくるんです。

 

 

決して暗くない、むしろ明るいメロディに

平和という大きな問題を身近で誰もが経験してきた愛で包んでいるところがもう逝きそう

 

 

日々あなた思い
あなた思い
一生が終わればいい
日々あなた思い
あなた思い
一生が終えてもいい
日々あなたと僕
あなたと僕
一生終えようか    

 

僕の勝手な解釈だけどね

ちょっと投げやりなんだよね

最初のあなた思いの部分。

もう考えたくないんだ、難しいんだよ。

考えてもわかんないんだよ。

イヤダイヤダ、めんどくさいってなって

 

もう、あなたのことだけ思えればいいってね。

 

まさに僕はそんな気持ちです今もこれからも。

 

むしろこれが両思いで現在進行形のままだったら僕からしたらハッピーエンドなんだよね

 

一生終ればいい

一生終えてもいい

一生終えようか

 

僕ならここで終わりなんですね

彼女もいないし好きな人とは決別したしで

片想いの人がここまで思ったところで無実の罪をずっと自分から背負ってるみたいで惨さとロマンス感もないのだけどね

 

わかるんだよなあ

日々あなた思い 一生が終わればいい

終えてほしい、好きなまま終えてほしい

だから僕みたいのはこの一文がどハマりしたけど。

 

この曲はあそこで終わらずに

また平和を問いかける場面に戻り終わる。

だからいいんだなあ。

安っぽくなくなるし、大切な人への愛を向けつつ、ずっと一緒にいたいじゃないって振り出しに戻して平和を訴えるから身近な人への愛の重要さが際立つ。

 

僕のはただただ

退屈な人生を言い訳にして

好きな人を思い 楽しかったな 悲しかったなって美化して冴えない男の実情をひたすら隠して言葉でごまかしをはかってるだけなんだなあ

 

もう書くの疲れたなあ

そもそもこのブログ人に教えてないんだよなあ

なんか教えるのってえらく見てみてーしてるみたいでさ、なんかなあって

からしれっとインスタのURLに貼ってるけど

家族とかに見られたらそれはそれで嫌だなあってヒヤヒヤするんだなあ(笑)

 

僕を好きでいてくれる人がいたとして

そっと見てほしいなあってこれも贅沢かなあ

 

あ、でもやっぱり

久しぶりって連絡来た方が嬉しいだろうね

 

どうしたの?なんて聞くと

うーん、なんとなく思い出して。って

ほう、また珍しいね。ってクールぶっておきながら内心ニパニパ止まらなくなるくらい嬉しいだろうな

パラノイアンクズかよ。

妄想やめよやめよ。

期待したことは絶対おきないからね(笑)

 

 

やっぱ、忘れられたくないなって思うよ

寂しいこと言うなよってなるけど

笑ってネタとしても言えるし、シリアス感だしても言えるし言いたいけどね

 

 

 

人って、生きていても死ぬんですよ。

肉体的に形として終わるだけじゃなくて、肉体はともなっていても生きていても

忘れられたら死ぬんだよ。

 

忘れられたくないけど

忘れられていたとしても

そうなったらそうなったで

実は大丈夫だったりすると思う

 

 

僕は何も忘れない気がするし

記憶を記録に釘付けようとしているし

 

 

だってほら、

日々あなた思い 一生が終わればいいと思ってるからね。