殴り書き
コンビニに行くと、飛沫や濃厚接触しないようにとレジ前に大きなカバーを設置していた。
先日いつものようにスタバに行くと、
明日から一か月以上に渡り夜7時までの短縮営業になると聞いた。
本を読むため、貸りるために通っていた図書館も本日から休館になった。
ガソリンは日に日に安くなるばかりだが
満タンにして走り続ける目的地もほとんどない。
自粛ムードが浸透してきて
オンライン飲み会が流行っているらしい。
自粛をお願いされて1カ月くらいだが既に何処でも誰かと繋がっていたいほど承認欲求に飢えている人類。
夜、スーパーに買い出しにいくと、
まるでゴーストタウンかのように
街が呼吸一つしていない風景で
猫の鳴き声ひとつで安堵するくらい
どこまでも静寂に沈んでいる。
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キネマの神様
ちょうど一年前の記事が出てきた。
結果から述べると、
僕は本の虫にはなれていない。
だけども、少しずつではあるが
つまみ食い、異なる枝を齧るぐらいには
本に触れるようになっている。
もちろん、樹木希林の本は面白すぎて、言葉一つ一つに情があり心に突き刺さるのもあって読み終えたのだけど。
問題は、義兄が僕みたいな登場人物がいるし、映画好きならおすすめだよ、と貸してくれた
キネマの神様である。
これは、2年ほど経つだろうか
まだ半分にも到達していない。
でも、読み進めたい。
遠回りしながらでも、完読したい。
なぜなら、
先日コロナウイルスで亡くなった
志村けんの初主演映画が、
山田洋次監督による『キネマの神様』だからだ
なんだか、勝手に意味づけして
遠いながらも読み進めていた本の映画化を知り縁を感じた気がするから
これを機に、のめりこめたいと思う。
本に出てくる登場人物に志村けんはぴったりと思ったから今となっては切ないものを感じる。
僕にとってキネマはなくてはならないもの
幾度となく僕を救ってくれ慰めてくれた
大切なものはキネマから。と、
大袈裟な事は言えないけども
感情移入して自分を投影して重ねてみたり
全く異なる物語に対し遠くから眺めてみたり、
あるいは、言語化出来ずにいた想いを代弁してもらった気がしたりと。
シーンやセリフ、音楽に酔っては一喜一憂したりする。
世界中を飛び周る事はできないけど、
一人の物語を通してまた一人と、ハシゴした気分になれる。
キネマを通して、僕は神様を探している。
誰も理解できず共感もできず、理解されず共感もされずとも
生きてていいんだよって説いてもらうために。
映画が出る前には読み終えてるといいな。
他人事だよ、自分のことなんて。
mgdwpd@mwtjtg.gwpmpmpm@w_whmg@w
考えを改めて前に進まないといけないとわかっているんだけども、
生きることに色気を見いだせずに
ちっぽけな哲学や思想がどこまでも退廃していて絶望の湯に浸かりっぱなしで
どうしても、太陽の下より光が差し込まない地下に長居してたらどうしたらいいかさえもわからなくなってしまった。
若気の闇というのは
全然闇なんかじゃなかった。
確かに、当時は当時で苦しかっただろうが、
若い頃ってのはまだ希望がある、それこそ可能性がいくらでもある中で落ち込みながらももがき続けてる段階だったはず。
老いて感じる闇は計り知れない
痛みには慣れたから無痛だけど
ひたすら重くひっついて剥がせやしない
それは、希望の光源すらなくって可能性すらなくてじんわりと闇が続いている感じ。
無とはこういう事かと、
ようやく解った気がする。
これが無なんだ。
どこまでも続く、期待のなさ、
人間の終末期を知ったかのような絶望感。
恐らく今、
僕として生きているのは、肉体を預けた屍。
僕である彼が、用もなく流されることも吹かれることもなく歩いている。
魂がない屍を弄ぶ人間はいない
魂がない屍に色気なんてないのだから
魂があった僕を、僕は覚えているだろうか
魂があった僕を、君は覚えているだろうか
手遅れだ
心を殺しすぎてしまったようだ
懐かしめばよい、期待した夜を